幣立神社とは
熊本県山都町に位置する「幣立神社」は、九州のおへそとも称される場所に静かに佇んでいます。この神社は「隠れ宮」としてガイドブックに載ることも少なく、多くの人に知られていない一方、その歴史は非常に古いとされています。創建は15000年以上前とも伝えられ、神武天皇の孫である健磐龍命(たけいわたつのみこと)がこの地で幣を立て、宇宙から降臨された神々を祀ったことが始まりとされています。
この神社には「ここから人々が世界に散らばった」という興味深い伝説があり、その証として毎年8月23日には「五色神祭」が行われています。この祭りは、かつて世界中の祖先が集い、御霊を和合するための儀式を行ったことに由来しており、5年に一度は大規模な大祭が催されます。
また、幣立神社は応神天皇の時代に「高天原の乱」という事件に関与し、その結果、神社自体が身を隠し「隠れ宮」としての歴史を歩んだという伝承もあります。静寂の中に息づく歴史と神秘が、訪れる者を不思議な世界へと誘います。
神社の御祭神
幣立神社の主祭神として祀られているのは、神漏岐命(かむろぎのみこと)と神漏美命(かむろみのみこと)の二柱です。この二柱は、天上の神々が地上に遣わしたとされ、古代において人々が争い合うことを憂慮し、平和をもたらすために降臨したと言われています。伝承によると、二柱は火の玉に乗って幣立神社の檜に降り立ち、神々の力を地上にもたらしたそうです。
その他のご祭神として、天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)、大宇宙大和神(おおとのちおおかみ)、天照大神が祀られており、それぞれが宇宙の秩序や天地の調和を象徴する重要な神々です。幣立神社は、こうした神々が一堂に会する場として、古来より神聖視されてきました。
神々が降臨したとされる檜の木や、自然豊かな境内は、その神秘的なエネルギーを感じさせ、参拝者を深い祈りへと導いてくれる場所です。
神社の御由緒
幣立神社の由緒は古く、社伝によれば、神武天皇の孫である健磐龍命が阿蘇に向かう途中、この地で休息を取りました。彼はこの場所の美しい眺めに感動し、幣帛を立てて天神地祇を祀ったことが神社の始まりと伝えられています。その後、延喜年間(901年~923年)に阿蘇大宮司友成が神殿を造営し、伊勢の両宮を祀って「幣立社」と呼ばれるようになりました。
幣立神社は、時を経て大切に守られてきました。天養元年(1144年)には、阿蘇大宮司友孝が阿蘇十二神を合祀し、大野郷の総鎮守となり、その神聖な地位は更に高まりました。現在の社殿は、享保14年(1729年)に細川宣紀によって改修されたものです。
また、幣立神社には明治時代の逸話も残されています。日露戦争が始まる直前、神託により全国8か所の神社で戦勝祈願が行われ、その中にこの神社が含まれていました。当時は無名の存在でしたが、その後、氏子たちが感激し記念樹を植樹しました。境内には今も「日露の大役・記念の真木」という木が立っています。
この神社は、高千穂の天孫降臨の地にも近く、古代の伝説や神話が多く息づいているため、超古代史研究家や一部の宗教家からも注目されています。
幣立神社の深い歴史と神秘を探訪し、神々と自然の調和を感じる特別な場所。次回の神社巡りの際にはぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。
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